Mix of Improvisation and Predetermined Movement

Day66 Belgium

-Brussels

今晩はBrusselsにRadical Lightというタイトルのダンス公演を見に行った。

4人のダンサーがとりとめもなく踊る。

本当は、とりとめもないわけではなくて、4人がそれぞれ影響しあって踊っている。

例えば、鳥が群れをなして飛んででいると思ったら、次第に散り散りになり、いつのまにかまた群れとなって飛んでいたり。虫が1匹で鳴いていると思ったら一斉に大勢で鳴き始めたり、ピタッと止まったり。

そこに何の合図があるのか、人間にはわからないけれど、鳥や虫の間にはコミュニケーションがあることはわかる。そのコミュニケーションの意味や意図は人間には見えないけれど、「見えないコミュニケーション」の「結果としての現象」だけ私達の目に見える。

そんなかんじで、この作品は4人のダンサーががコミュニケーションし続け、その「結果としての現象」をお客さんは見続けるという1時間だった。

この作品の半分はあらかじめ決められた動き、半分は即興とのこと。決められた動きが4人の中での共通言語、合図となっている。

この、即興と合図的振付とのミックスによって、どんな現象が現れるのか、いつのまにか魅入られてしまった。予測できそうでできない。見たことがあるように思えて、全く同じ場面というのは二度と見られない。

はじめは、単調なテクノ音楽に意味不明な動きが連続しているだけのようにしか見えず、飽きそうになったけれど、いつのまにか、この「見えないコミュニケーション」の「結果としての現象」に、ぼーっとしながらも見入ってしまった。

感涙や爆笑といった類の面白さはもちろん無いんだけど、おもしろかった。うん、おもしろかったんです。最初飽きそうになった自分が途中から変わっていったことも含めて、ちょっとおかしかった。

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抽象的だからこそ、見る側にゆだねられた部分が大きくて、受け身ではいられない。

「エンターテイメント」を見に行ったときって、観客は演者に楽しませてもらえることが保証されていると思う。

けれど、この舞台やEdinburgh Festivalでいろんな舞台を見て思うのは、楽しませてもらうという姿勢では楽しめないということ。

作品を見ると、自分の中で会話が生まれるはずで、その内面の会話を聞いていないと楽しめない。作品を見ることだけで、簡単に、おもしろいかつまらないかを決められない。

作り手だって、楽しませてあげようと思って作っているわけではないように思えるしね。

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今、ソロの作品を作りたいと思っている。けれど、なかなか作れずにいます。

どういう心持ちで進めればよいのか、迷っています。

音は決めたんだけどな。

いや、音から決めたから作れずにいるというのもある。

音から入るのはこれまでと同じやり方で、それとは違うものをたくさんインプットしてきた旅だから、これまでの自分と違うことをしたいけれど、まだ腑に落ちてない。

消化できずにいて、もやもやが続いている…。

つづく…

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