Day78 Germany
-Berlin
-Leipzig
写真は、marameoというダンススタジオの外観(笑)
前記事の彼女と話したことの続き。
前記事では、アートとしてのダンス作品の市場が小さいことについて触れた。
今回は、「クリエイターが不足しているからダンサーが育たない」という話について書こう。
ダンス人口は増えているし、ダンススタジオの発表会なり、コンテストなり、ダンスの作品はたくさんあるから、作る人・クリエイターも増えているんじゃないの?と思うかもしれない。
ダンサーが作ったダンス作品はたくさんあるけれど、クリエイターが作ったダンス作品はどうだろう、増えていないんじゃないかな。
ダンサーとクリエイターは別物だという話から入ろう。
そこで、ダンサーが作った作品と、クリエイターが作った作品の違いを書いてみる。
まず、ダンサーが作ったダンス作品で起こること。
例えば出演ダンサーが10人いるとする。
彼らは、センターで踊れることを目指す。それが、上手い人の証拠だから。制作者(振付師)も、うまい人をセンターに据えるだろう。
常に目指すべきは、センター・スポットライトの当たるところ。
センターで踊る1人がすごくて、他の9人は、その人よりは下。
でも、今回センターじゃない人も、まるでセンターにいるかのように全力で踊る。制作者(振付師)側もそれを求めるだろう。
出演ダンサーが10人だろうが20人だろうが100人だろうが、同じことが起きる。
とにかく全員が舞台上で全力で踊る、全力で目立とうとする、全力で個性を出そうとする。
それを是としてきたダンサーが作った作品だと、それを是として出演ダンサーを扱う。
各出演ダンサーに役割は無い。
練習の成果を表す場としては成り立っているけれど、作品としてはどうだろう?
では、クリエイターが作った作品だとどう違うのか?
各自に役割があると考える。
だから、各自が、各役割に沿って全力を出す。
たとえば、舞台の端っこで、後ろ向いて立っているだけの役かもしれない。けれど、作品を伝えるのに重要な意味があるわけだ。作品をお客さんに伝えるのに必要だからそこにそういった役割を設けているのだ。
ダンサーも、その振付の意味を考え、その役割を全うしなければならない。
それができる人が良いダンサーということではないんだろうか。
そして、クリエイターとは、表現したいものがあって、表現方法を考え、ダンサーに役割を伝え(考えさせ)、作品をまとめ、お客さんに伝えていく人のことといえるんじゃないだろうか。
つまり、ダンサーが作った作品と、クリエイターが作った作品では、出演ダンサーの目指すべきものが全く変わってくる。
ダンサーも、振付をするダンサーも増えたけれど、クリエイターはさほど増えていないんじゃないかしら。
クリエイターが増えないと、ダンサーも育たない。
そんな話をしていました。
(うーん、この記事、ちょっと語弊がある気がするし、いつになく上手く伝えられているか不安なんだけれど、現状これ以上の説明が見つからないので、本記事公開します。汗)
つづく…