Copy


前記事で書いた、スタジオ開放イベントでのこと。



数年ぶりに再会した方がいた。




大学入学したて、つまり、上京したてで、ダンスサークルの先輩につれられて六本木のクラブにいったときのこと。



クラブというか、ファンクやディスコ中心のダンスホールというか、ディスコって呼んだ方がイメージが近いかも。



先輩の友達も来ていて、彼はfour cornerというsoulのベーシックステップをいろんなリズム感や質感を試しながら、黙々と、楽しそうに踊っていた。



で、それ教えてください!って勝手に横に張り付いて、まねをした。



シンプルな動きで、深く深く楽しむその人の姿がすごく好きで、私自身も躍りをそんな遊びと捉えて夢中になった。
 
 
この遊びをやればやるほど、派手な動きって、別に必ずしも必要ないなって思いだした。派手な動きをあえてせず、体にある一定の縛りを設けて、その制限の中で何ができるのか見つけていくことにハマっていた。
 
 
音が体に入ってきて、それを体の中に溜めたり、体の別の場所に流したり、あるいは外に逃がしたりする、という遊び。



文字に起こすと変態っぽいな(笑)

音を自分なりに醸造してそれを味見して楽しんでいるようなイメージ。

変態だな(笑)

そんなことで、18歳のころに出会い、その後もイベントなんかでたまにお会いしていたものの、しばらく会っておらず、数年ぶりに、スタジオ開放イベントでお会いできたのだった。

私は今、Ambista Houseで定期レッスンやWSなどを開講してくさる方を探していて、この人は!という方にお願いをしているところ。ぜひ彼にお願いしたかったから、聞いてみた。

んだけど・・・教えられることも無いしね・・・って言われてしまった。(笑)

いやいや、あなたに習いたい人はたくさんいるのに!と思っているけど。

理由を聞くと、教えることが無いわけではなくて、スキルでもなんでも教えることはできるけど、レッスンという形、つまり、先生と生徒、になってしまうことで、なんだか、ぼくの踊り方、遊び方こそが正しいものかのようになるのが嫌で…とのことだった。

遊び方は人それぞれだから、それを限定してしまいたくない、と。

うん。私もそう思います。

クラブや、開放イベントみたいな、先生と生徒でもなく、ただそこにいたダンサー同士という間柄で、何か教えてと言われたら、なんだかんだ熱心に伝えたりしちゃうんだけど…っておっしゃっていた。

うん、私もかつて、そうやって教えてもらいました。そして、それを今でも覚えている。

レッスンやWS開催の依頼については、実現ならず(いや、私はまだあきらめてないけど笑)だったけれど、彼がそれをやらない理由にとっても共感し、むしろ嬉しくなったのでした。

 
ダンスって、基礎や、体のボキャブラリーとしてのいくつかの技なんかは、レッスンに行ったりして習った方が、早く踊りっぽいものができるようになって便利なのかもしれないけれど、そのあとは、先生・生徒の関係の中で、先生をコピーし続けることには、あんまり意味がないと思ったりする。
 
 
結局、自分の中から何が出てくるかだと思うから。
 
 
ダンスレッスンって、基礎練習の後に、振付を教わることが多いけれど、その振付が好きでその先生のもとに通っている人が多いんじゃないかと思う。ボキャブラリーを増やすという意味では、良い方法だ。
 
 
けど、生真面目に先生のコピーを目指してしまう人も多い気がする。
やっぱり、それだけだとつまらない。
いくらコピーしても、結局その先生の分身になるだけで、だったら、その人である必要がない。
 
違いが無いと意味がない。
 
それぞれの違いが際立つスタジオにしていきたい。
つづく…
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