Talk Session and Dance Performance 1/6

なんでわざわざ踊りという表現方法を使って表現しているんだろう。

11月11日にソロパフォーマンスをすることになっている。世界一周旅に関して、プロインタビュアーの方と対談した後に、パフォーマンスをするというイベント。

せっかく、しゃべってから踊るという状況なので、パフォーマンスは、そのしゃべったことの中にヒントがあるような、旅にまつわるストーリーの作品にしようと思った。帰国後すぐに準備に取り掛かろうとした、んだけれども全然つくれなかった。

・・・で、ある時思った。

なんで、わざわざ踊りにしたいんだろうって。
(ダンサーだから、と言われたらそうなんだけど笑)

対談しかり、このブログしかり、言語という、おそらく最も具体的に相手に伝える手段をとれるにも関わらず、なぜ踊りという、どうやったって言葉よりも抽象度の上がる表現手段をとりたいと思っているのだろう。

そして、ストーリーは自分の中にすでにあるはずなのに、なんで今作ることができないんだろう。どうなったら、作ることができるんだろう。

まず、踊りにしたい理由は、抽象度を上げることで、見る側に解釈の余地を残したいから。正確に伝えることよりも、自由に意味を考えてくれる方が面白いと思っているから。

そのはずなんだけど…書いてみて思う。
本当に、今そう思っているのかしら…?って。

踊りがつくれない理由は、抽象的にしたいといっている割に、【抽象化】したくないと思っている自分がいるからじゃないかと。

着想となっている自分の旅の物語が、まだあまりにも具体的に心に残っていて、特定の人物、特定の出来事などに、私の感情がねっとりとこびりついたまま。まだ、それらの感情を自分の【手放す】ことができずにいる。自分のストーリーを自分だけのものにしているような。

だから、抽象化して、他人に解釈を委ねると、様々な解釈がされる。そのことを受け入れる心の準備ができていないのかも。そんな、【固執】が原因で、踊りにならなかったんじゃないかと。

そこで、しばらく、作ろうとすることをやめてみた。その間、帰国後の新しい取り組みの夢中になったり、なんやかんやと日が過ぎて行った。

すると、1か月くらい経ったところで、ふと、作品の各場面が動きになって思い浮かんできた。以前想像していたよりも、ずっとシンプルになっていた。
各場面をもし言葉で説明するとしても、具体的に人の名前なんかは出てこなくて、抽象的というか、概念的な言葉、一言二言で表せるような、そんな状態。

ようやく、旅のことも整理がつき、私の手から離れて、固執がなくなってきたのかもしれない。

そんなことで、11月11日の本番が近づいていますが、やっと作り始めています(笑)

焦らない、焦らない(と自分に言い聞かせている)

そういえば、抽象度について、Edinburghにいたときに考えていた時の記事を思い出したので、リンクだけこちらに。(前編後編

つづく…

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