Day52 London
エディンバラで、日本人ソロダンサーの作品を見つけたので早速行ってみた。
Shoko Sekiさん。
初演を見て、彼女のファンになり、インタビューを申し込んだ。
インタビューの前に、もう一度見たいと思い、2度目を見たところだった。
過労死をテーマとした45分間の作品。
彼女の動き一つ一つが鮮明に私の脳に伝わってくる。
メッセージ性の強い作品だからか、目で見るとか、心で感じるとかいうより、脳みそに直接メッセージが響いてくるような感じがした。
過労死は、直近では電通の件が衝撃的だったが、それに限らず、日本に蔓延している問題である。昔ならそれほどの働き方が美徳とされていたから、もはや文化のようなものだろう。
海外に来て思うのは、過労死なんて概念がそもそも無いということ。残業なんて、お金を積まれてもやらない、有休消化しないなんてありえない、人生を楽しむために働いているのに、なんで仕事で死んじゃうの?なんてことを何度か聞いた。
この文化的な問題を海外に持ち込むというテーマ設定も魅力的だった。
インタビューの時、野暮かもしれないなと思いながら、私に伝わってきたストーリーを答え合わせではないけれど、彼女にぶつけてみた。作り手がどんな意図をもって場面構成をしていったのかが気になったのだ。
すると、彼女自信の予想以上に、彼女の狙い通りに私に伝わっていたようだ。
私はこれまで、コンテンポラリーダンスとかいうものの作品をたくさん見てきたわけではない。
だから、作り手の考えにとても興味があった。
まず、着想。
過労死というテーマを取り上げると同時に、東日本大震災で受けたショックも作品に落とし込みたいと思っていたという。
彼女は大震災が起こった直後にそれを作品にすることはできなかったという。けれど、今でもその衝撃が残っていた。過労死を表現する場面に、大震災による原発事故の作業員の姿を重ねるなど、深い思考と表現をしていた。
日本という国の文化ともいえる問題、日本という国の国民が受けた悲しみ、それらを、一人の人間として向き合い、紡いできた姿がとても聡明に見えた。
***
彼女の作品は抽象度が高いようで、具体性があるという不思議な矛盾があった。
この矛盾の中で、どんどん想像力が膨らんだ。
けれど、その想像力がどっか別の方向へ行ってしまわないように、彼女の踊りが導いてくれた。
もちろん、人それぞれ、解釈が違っていていいわけで、それが面白いところなのだけれど、私には、私の思うストーリーがとっても鮮明に見えた。
***
彼女は、18歳まで福岡で過ごし、その後、状況して都内の大学で主にバレエを学ぶ。
そこで、元Noismのダンサーに出会い、コンテンポラリーダンスの道を志した。カンパニーのオーディションに受かり、3年間、Noismの拠点である新潟で研究生として過ごした。
研究生から団員へと上がれるかどうか、ここが一つの転機となった。
彼女は、福岡に戻り、3年間、プロジェクトベースでの活動や、指導をしていた。
けれど、この時期が無いと今の自分は無い。
これまで、文字通り、踊り漬けの日々を送ってきていて、いわゆる大学生、社会人といった生活、それは、人並みに遊ぶということも含めて、やってこなかった。
だから、これまでとは違う生活、ある意味一般的な生活に一度身を置くことで、世界がぐっと広がった。
そして、エディンバラのように、海外の芸術祭に精力的に作品を出すなど、活動の幅を広げている。
また、今後は、海外のカンパニーに所属するなど、多くの作品で自分を磨いていきたいと、力強く話してくれた。
ダンサーという職業は、サラリーマンと比べたら、たしかに保証のない世界であり、なにかとご両親も心配しているという。
その気持ちもわかりつつ、けれど、彼女は彼女のやりたいことにまっすぐに、前に進んでいる。
同い年で、自分の道をまっすぐ見つめ、道が見えない時も進む決意の揺らぐことのない強さを持った彼女に、勇気づけられた。
出会いに感謝です。
つづく…
Shoko Sekiさん。
初演を見て、彼女のファンになり、インタビューを申し込んだ。
インタビューの前に、もう一度見たいと思い、2度目を見たところだった。
過労死をテーマとした45分間の作品。
彼女の動き一つ一つが鮮明に私の脳に伝わってくる。
メッセージ性の強い作品だからか、目で見るとか、心で感じるとかいうより、脳みそに直接メッセージが響いてくるような感じがした。
過労死は、直近では電通の件が衝撃的だったが、それに限らず、日本に蔓延している問題である。昔ならそれほどの働き方が美徳とされていたから、もはや文化のようなものだろう。
海外に来て思うのは、過労死なんて概念がそもそも無いということ。残業なんて、お金を積まれてもやらない、有休消化しないなんてありえない、人生を楽しむために働いているのに、なんで仕事で死んじゃうの?なんてことを何度か聞いた。
この文化的な問題を海外に持ち込むというテーマ設定も魅力的だった。
インタビューの時、野暮かもしれないなと思いながら、私に伝わってきたストーリーを答え合わせではないけれど、彼女にぶつけてみた。作り手がどんな意図をもって場面構成をしていったのかが気になったのだ。
すると、彼女自信の予想以上に、彼女の狙い通りに私に伝わっていたようだ。
私はこれまで、コンテンポラリーダンスとかいうものの作品をたくさん見てきたわけではない。
だから、作り手の考えにとても興味があった。
まず、着想。
過労死というテーマを取り上げると同時に、東日本大震災で受けたショックも作品に落とし込みたいと思っていたという。
彼女は大震災が起こった直後にそれを作品にすることはできなかったという。けれど、今でもその衝撃が残っていた。過労死を表現する場面に、大震災による原発事故の作業員の姿を重ねるなど、深い思考と表現をしていた。
日本という国の文化ともいえる問題、日本という国の国民が受けた悲しみ、それらを、一人の人間として向き合い、紡いできた姿がとても聡明に見えた。
***
彼女の作品は抽象度が高いようで、具体性があるという不思議な矛盾があった。
この矛盾の中で、どんどん想像力が膨らんだ。
けれど、その想像力がどっか別の方向へ行ってしまわないように、彼女の踊りが導いてくれた。
もちろん、人それぞれ、解釈が違っていていいわけで、それが面白いところなのだけれど、私には、私の思うストーリーがとっても鮮明に見えた。
***
彼女は、18歳まで福岡で過ごし、その後、状況して都内の大学で主にバレエを学ぶ。
そこで、元Noismのダンサーに出会い、コンテンポラリーダンスの道を志した。カンパニーのオーディションに受かり、3年間、Noismの拠点である新潟で研究生として過ごした。
研究生から団員へと上がれるかどうか、ここが一つの転機となった。
彼女は、福岡に戻り、3年間、プロジェクトベースでの活動や、指導をしていた。
けれど、この時期が無いと今の自分は無い。
これまで、文字通り、踊り漬けの日々を送ってきていて、いわゆる大学生、社会人といった生活、それは、人並みに遊ぶということも含めて、やってこなかった。
だから、これまでとは違う生活、ある意味一般的な生活に一度身を置くことで、世界がぐっと広がった。
そして、エディンバラのように、海外の芸術祭に精力的に作品を出すなど、活動の幅を広げている。
また、今後は、海外のカンパニーに所属するなど、多くの作品で自分を磨いていきたいと、力強く話してくれた。
ダンサーという職業は、サラリーマンと比べたら、たしかに保証のない世界であり、なにかとご両親も心配しているという。
その気持ちもわかりつつ、けれど、彼女は彼女のやりたいことにまっすぐに、前に進んでいる。
同い年で、自分の道をまっすぐ見つめ、道が見えない時も進む決意の揺らぐことのない強さを持った彼女に、勇気づけられた。
出会いに感謝です。
つづく…