Dance

Day96 Bangkok, Tokyo

タイで少し体調を崩し、この次、ミャンマーに行く予定だったけれど、ミャンマーで体調が悪化するのは怖いなと思い、タイから日本に帰ってくることにした。

 

というわけで、少し前倒しで、なんだかあっけなく、本日が最終日となります。

 

タグ第4弾、いよいよ、踊りについて書きます。

 

とっても自由に踊っているはずなのに、どうも自由じゃないぞと思っていた去年。体は踊りたいと思っているけれど、どの音楽を聴いてもあんまり踊りたいと思えなくなっていた。

 

ジャンル問わず、どんな音楽でも踊るけれど。音楽のジャンルの問題ではなくて。

 

その瞬間の体や心を、その瞬間に踊っていたいのに、その時、私に完全にマッチする音楽がその瞬間にはない。そりゃそうだ(笑)iTunesのレコメンドもそこまで賢くない(笑)

 

ストリートダンスが長いのだけれど、まず音楽があって、音楽とともに、音楽のために(?)踊るということが姿勢がしっくりこなくなった時期があった。いっそ音楽なしで踊ってみたり、歌いながら、唸りながら、叫びながら踊ってみていた半年間。

 

その後、世界一周に出発。旅の中では、生活に溶け込んだ踊りにも、作り込まれた踊りにも、以前なら踊りと認識しなかったかもしれないような踊りにも出会った。

 

そして、どれだけ自分で踊りに枠や制限を設けていたか、よくわかったのです。自分ではめた枠によって自由じゃないと感じていた。それが取っ払われて、今とっても自由に踊れる気がしています。

 

どんな時に踊るんだろう?

何のために踊るんだろう?

なんで踊るんだろう?

どうしてそれは踊りなんだろう?

 

疑問があとからあとから湧いて悶々としていたけれど・・・

 

どんな時におどるんだろう?

嬉しい時、悲しい時、怒った時、なんでもない時…
音楽が聞こえた時、静寂に包まれた時…
いつだって踊る。

 

何のために踊るんだろう?

見てくれる人のため?音楽のため?
そういうときもあると思うけど、
自分のため、その場に一緒にいる人のため。
でも、何のためかなんて忘れて踊っていて。

 

なんで踊るんだろう?

好きだから踊る。
好きなことが当たり前すぎて、好きであること忘れるくらい、好きだった、ということを思い出しました。

 

どうしてそれは踊りなんだろう?

あれは踊りだけど、これは踊りじゃない、なんて区別は無くて、体が動いたら、あるいは心が動いていたら、それが踊りになっていたらしい・・・とあとから振り返ると思えることでいい。そんくらい、体から自然に出てくるものなんだと思った。

 

目の前の霧が晴れていくようでした。

 

旅ブログ最終回なので、このブログのサブタイトル「表現と体づくりを学ぶ世界一周の旅」にある、表現についても書こうと思う。

 

旅を始めるとき、「ダンス」ではなくて、上の概念の「表現」という言葉にしたのは、吸収したことは、私の場合はきっとダンスに落とし込まれていくから、あえて、ダンスとくくらずに広く捉えた方が、きっと変化の幅が大きくておもしろいんじゃないかと思ってこの言葉にしたのでした。(一番最初の記事にも書いた通り。)

 

そして、ここで言う「表現」というのは、実は、日常のすべてのことだったりするのです。

 

誰かに見せるということだけを捉えて表現と言っているのではないから、表現者というのは舞台に立つ人だけのことではなくて、すべての人間のすべての日常が表現だと思っている。

 

この旅は、いろんな場所で、いろんな人に出会い、一緒に過ごし、泊めてもらったりもして、その方々の日常に一時的に入るという毎日だった。

 

私にとって、それは、様々な表現に出会ったということ。

 

それらを能動的に吸収することはもちろん、
受動的に、自然に影響を受けてることで、
私が変化をしていく。

 

私が変化するということは、
私から出てくる踊りも変化している。

 

その変化を面白がっている自分がいる。

 

変化し続ける限り、踊りは終わらないし、
踊りが終わらなければ、変化も終わらない。

 

世界一周の旅、終了!そして、つづく…

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